真摯にお米を炊いていることで知られる常川拓也さんに、7月6日(土)に渋谷ユーロライブで開催される「はみ出し者映画」のイベント「サム・フリークス Vol.5」についてのコラムを書いていただきました! 同時期に開催中のレインボー・リール東京を優先していただいて構いませんので、それでも時間が余った場合はぜひお越し下さい! よろしくお願いします!
ケベック映画『まどろみのニコール』は、不眠症に悩まされているニコールの大学卒業後のモラトリアムな日々をモノクロで描いている。彼女は両親が長期休暇で不在の間、実家で気ままに過ごしたり、「老夫婦」のようにいつも一緒にいる金髪の親友ヴェロニクとあてもなくぶらぶらしているが、兄がバンド仲間を引き連れて戻ってきたことで生活に徐々に微妙な変化が生じていく。『フランシス・ハ』や『ゴーストワールド』を特に彷彿とさせるが、ここでは(『ストレンジャー・ザン・パラダイス』等の影響で採用された)白黒の画面は、永続的な夢のような感覚として機能している。劇中でSF映画『姿なき訪問者』へのリファレンスがあるが、『さよなら、退屈なレオニー』の編集も手がけている監督のステファヌ・ラフルールは、声変わりの最中にある少年に成熟した中年男性の声を当てるなどSFのような遊び、あるいは無表情喜劇的なシュールなユーモアの要素を溶け込ませているのだ。そして「間欠泉」のような怒りとともに、疎外感に捕らわれたニコールは「ここではないどこか」へと目覚めるのである。
『ステーション・エージェント』もまた気だるい夏の風景とはぐれ者への共感を静かな叙情で湛えている。ピーター・ディンクレイジ初主演作となったこの映画で監督のトム・マッカーシーは、もともと「小人」を想定していたのではなく、世界から孤立することを選んだ鉄道愛好家の物語を企図していたと言う。マッカーシーは彼を怒りもロマンティックな感情も内包した多面的な生身の人物として扱っている一方で、「見えない」存在として嘲笑の対象にされている側面をあえて強調している。思えば、彼の近年の主演作『孤独なふりした世界で』は一人でいることと孤独であることの違いに言及していた。標準から外れている者に対して差異をあげつらうボディ・シェイミングが蔓延する社会の中では周囲から浮いている方が疎外感を抱かせるわけである。だから彼は一人でいることを好む。そんな中で社会の一部になれない者たちが互いの疎外感を分かち合いながら、思いがけない友情を形成していく。以降も疑似家族の物語を真摯に紡いでいくことになるトム・マッカーシーの原点にして、クリント・イーストウッドも称賛した傑作。
(映画ライター・常川拓也)