常川拓也さんに「サム・フリークス Vol.15」で上映する『サウザンド・ピーシズ・オブ・ゴールド』と『ブッチャー・ボーイ』についてのコラムを書いていただきました! 10月24日(日)に渋谷ユーロライブで開催です!
「鳥には巣居、蜘蛛には蜘蛛の巣、人には友情」──ウィリアム・ブレイク
ケリー・ライカートは、『ミークス・カットオフ』で女性視点で読み直したミニマルな西部劇を試み、『First Cow』では上記の一節を引用し、1820年の米国で白人と中国系移民に育まれる穏やかな友情に焦点を当てた。その意味では、確かに19世紀の中国で貧しい父親から年季奉公で米国に売られた若い女性の苦難と異人種間のロマンスの実話に基づいたナンシー・ケリー『サウザンド・ピーシズ・オブ・ゴールド』は、1990年の時点で早くもその両方を志向していた映画であると言える。西部劇が前景化させてきた荒野での銃撃戦ではなく、彼女たちは、その背後で女性たちが食事の準備や洗濯、掃除、あるいは編み物に費やす場面に注意を払う点で共通する。特に『サウザンド・ピーシズ・オブ・ゴールド』では、隷属状態に置かれる女性を主役とすることで、西部開拓時代の搾取的な性別役割分担/性差別、そして人種差別や外国人嫌悪を明らかにし、カウボーイの家父長的な神話ではなく、女性の視点から日常の生活の問題として捉えているのである。過酷な現実を映し出しながらも、ナンシー・ケリーはヒロインを被害者ではなく、娼婦になることを拒み(「No whore!」)、さらに白人男性のカメリアコンプレックス的な思い上がりも是正するような信念を貫く自立した女性として提示してみせている。
初めて何も知らずに『ブッチャー・ボーイ』を見たときは、鋭利な題名とVHSのパッケージから勝手にホラーを予期したものだったが、この映画はショック描写に力を入れているわけでも主人公を悪魔の化身として登場させるのでもない。むしろ暗く悲惨な出来事を陽気に無邪気に描くからいささか驚いたことを覚えている。ニール・ジョーダンは、『狼の血族』で「赤ずきんちゃん」をモチーフに想像力豊かな思春期の少女の夢想をダーク・ファンタジーに仕立てたが、『ブッチャー・ボーイ』では過剰な思い込みに駆り立てられる少年にフォーカス。アルコール依存症の父と希死念慮に囚われた母のもとで育った主人公フランシーにとって、兄弟の契りを交わした唯一無二の親友だけが世界のすべてだったのかもしれない。一緒にいる間、田舎の小さな町はTVで見るカウボーイのように遊び回れるプレイグラウンドだっただろう。しかし、いつしか親友は世間と足並みを揃え、シャバい同級生と親しくし始めてしまう。それは裏切りにほかならない──これは、親友に強い執着を抱えた者の物語である。両者の友情のバランスが釣り合わなくなったとき、フランシーは、親友を奪った鼻持ちならない相手の母親を諸悪の根源とみなして被害妄想が暴走。独特なナレーションも渾然一体となって、原子爆弾への恐怖なども相俟った彼のパラノイアックな心理状態の感覚を深めていくような異色作。アリ・アスターは、「ニール・ジョーダンの不当に見過ごされた傑作であると同時に、『時計じかけのオレンジ』の精神的な兄弟」と本作を評している。
(映画ライター・常川拓也)