『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』の邦題問題に関しては、別にこれが素晴らしい邦題だとかは全く思わないけれど、今回の映画版は原作者のオルコットと主人公のジョーを(これまでの映画版よりも遥かに明確に)重ねて描き、時系列をシャッフルさせて「本当はオルコットは『若草物語』をあんな結末にしたくなかったはずだ」というグレタ・ガーウィグの主張を映画内で強く押し出した「メタな『若草物語』」になっているので、こういう邦題になってしまったのも仕方ない気がする。
この動画でも繰り返し語られているように、『若草物語』でジョーがベア教授と結婚することについて不満を抱いていた人は少なくないはずだし(自分もその一人)、グレタ・ガーウィグの主張は全くもって正当だとも思うんだが、しかし『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』のようにそこを茶化してメタな視点で描くんだったら、そこまでしてでも『若草物語』をやる必要があるのか?という気がしないでもない。だったら『わが青春の輝き』でいいんじゃないの?
ジリアン・アームストロングは「1994年版の『若草物語』は『わが青春の輝き』のリメイクのつもりで撮った」と語っており、だからこそ1933年版→1949年版と若返ってきていたベア教授の設定を1994年版で改めてバリバリの中年男性(ガブリエル・バーン)として描いたのはかなり意識的な産物だったと思う。その代わりに1994年版ではジョーとベア教授の交流をしっかりと描いていて、そこが『わが青春の輝き』を撮ったジリアン・アームストロングなりの妥協点だったのだろう。