『(500)日のサマー』をもっと楽しむための覚え書き2(映画を観た人向け)。
そういえば一昨日の記事に書き忘れたけど、トムってサマーに「僕達の関係をはっきりさせてくれよ!」とか言うわりには、「今の良い関係を壊したくないから」とか自分の中で勝手にエクスキューズを作って、けっきょくサマーに対しては一度も「I love you」とは言ってないんだよね。あくまでもトムの1人称視点で描かれるから強調されていないけど、トムが他力本願なところ/自分の願望をサマーに押し付けているだけなところは幾つもあるし、それと同様にサマーの気持ちを推しはかるヒントは劇中に幾つも転がっているわけで、再見される方はそこらへんに注目してみるといいかも。
ってなわけで今日の本題は、サマーとトムの音楽的趣向のズレについて。
トムはサマーに惹かれ、「自分の運命の人ならば、高校の卒業アルバムにベル&セバスチャンの歌詞を引用するような超インディー・ロック好きに違いない!」と妄想する(何度も書くけど、冒頭の「サマー効果」は「トムが勝手にそう思っている」ってだけで事実無根だからな!)。
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トムがスミスの「There Is A Light That Never Goes Out」を聴いていると、サマーが「スミス好きなの?私も好きなの」。
(「間違いなくサマーは運命の人だ!」と勝手に確信)
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会社でスミスの必殺の名曲「Please, Please, Please, Let Me Get What I Want」を流してサマーにアピール(しかしサマーは完全スルー)。
実はこの時点でサマーとトムの音楽的趣向のズレ、サマーがトムの思い描いているような「運命の人」でないことが示されているのだが、トムはそれに気付けずにサマーに自分の願望を押しつけ続ける。
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会社のカラオケでサマーはナンシー・シナトラの「Sugar Town」を歌う(しかも「本当はブルース・スプリングスティーンの『明日なき暴走』を歌いたかったけどカラオケに入ってなかったから」なんて発言も)。
ここでサマーの音楽的な趣向が明らかになるわけだが、トムは気付けない。
(トムはピクシーズの「Here Comes Your Man」を歌う)。
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トムはサマーを自分の部屋に招く。部屋でかけるBGMはジャック・ペニャーテの「Have I Been A Fool?」と、相変わらずのインディー・ロック推し。
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サマーは「ビートルズならリンゴ・スターが好き。『Octopus's Garden』は最高の名曲」と熱く語るが、トムはそれを小馬鹿にする。
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トムはサマーの部屋に招かれる。サマーは部屋にリンゴ・スターの肖像画を飾るほどの超リンゴ好きであることが明らかになる。
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トムはサマーに「スペアミントを聴かない人生なんて地獄だよ」と言うが、サマーからの反応は薄い(トムからスペアミントの曲が入ったCD-Rをもらっているのだが、聴いていない)。
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同僚の結婚式でも相変わらずサマーはリンゴの魅力について熱く語る。
トムは「サマーはインディー・ロック好き!」との勝手な思い込みから「こういうジャングリー系ギター・ポップが好きなんだよね!」と(自分の願望込みで)アピールし続けるわけだが、サマーはトムと違ってそれほどインディー・ロックにドップリな人ではないのは以上のことからも明らか。スミスを好きってのは本当なんだろうけど、「Please Please, Please, Let Me Get What I Want」をスルーするシーンが象徴的なように、別に『モリッシー詩集』を買うほどのファンではないよ、と。そう考えればサマーがエレベーターの中であんな物騒な歌詞を楽しげに歌ったことにも説明がつく。カラオケでの選曲やリンゴ・スターが超好きなところから察するに、インディー・ロック系も好きではあるんだろうが、それ以上に自分が生まれるより前の音楽を聴く方が好きな人なのだろう。トムはサマーに自分が思い描く「運命の人」像に沿った音楽的趣向を押しつけるばかりで、実際のサマーのそれを全く汲みとれていないのだから、音楽以外の部分でもサマーの気持ちを汲みとれない場面が多々あったのではないかと容易に想像できる。
ズーイー・デシャネルもインディー・ロック・シーンの女王みたいに思われているけれど、実は本人はその辺りの音楽にそれほど興味はなくて、それよりもビートルズだったりキンクスだったりラヴィン・スプーンフルだったりニーナ・シモンだったりが好きな人なわけで、だからこそ「サマーはズーイーにアテ書きされたんじゃないの?」と思えてしまうわけだ(ちなみにサマーがカラオケで「Sugar Town」を歌ったのはズーイー本人の選曲とのこと)。ズーイー・デシャネルが『(500)日のサマー』絡みのインタビューでスミスについて語っている記事でも「メロディとコード進行がいい」って言ってるだけで特に強い思い入れはなさそうで、そんなところもまさにサマー≒ズーイーなんだなあ、と。というかズーイーっていつもこういう役を演じているわけで、「役柄≒本人」という一貫した役者人生を歩んでいるという意味では、ズーイー・デシャネルは安藤昇やジャッキー・チェンなどの系譜に連なる俳優なのである、というのが今日の結論。
ついでに。『(500)日のサマー』のチラシコメントでビートルズの「Hello Goodbye」を引用させてもらったわけだけど、その動画版がこちら↓。超ネタバレなので映画を観た人限定でどうぞ。なんか観てるとこの曲のための映画って気がしてくるぜ。人生はいつだってすれ違いの連続だ。