ビートルズの映画『HELP!4人はアイドル』の新装版DVDが発売された。これはおいらのコメディ映画観に最も大きな影響を与えた映画なので(小学生の時にビデオテープがビロビロになるまで繰り返し観た)、たとえ旧版DVDを持っていても買わなければならないのだった。
というわけで、デジタル・リマスターされた本編を改めて観ながら思ったけど、リチャード・レスターって基本的に温故知新の人だよね。『ハード・デイズ・ナイト』はヌーベルバーグの手法を用いながらマルクス兄弟的なスラップスティック・コメディを再現してみせた名作だし(故にゴダールとかトリュフォーの諸作なんかよりも遥かに重要だと思う)、『HELP!』はモンティ・パイソンなんかの先駆けともいえる、ボブ・ホープ&ビング・クロスビーの『珍道中』シリーズを先鋭化させたようなナンセンス・コメディだ。そんな彼の一貫した姿勢は、バスター・キートンに見事な有終の美を飾らせた『ローマで起った奇妙な出来事』(結果的にキートンの遺作になった)などにも良く表れている(そういえばキートンの最後の主演作であり、往年の名作『キートンの大列車追跡』への粋なオマージュを捧げた隠れた傑作短編映画『キートンの線路工夫』が、今はYouTubeで観れるのね。良い時代だ)。
また、映画が最高なのはもちろんとして、今回のために書き下ろされたマーティン・スコセッシによる解説文が素晴らしすぎる。この為だけに買っても損はないぞ。おいらがリミックスしたショート・ヴァージョンを以下に載せておこう。
リチャード・レスターの映画がどれだけ重要だったかを、今、正確に伝えるのはむずかしい。新作はつねに心待ちにされ、しかもそのたびに新たなスタイルを生み出したため、コーマシャル、TV、そしてまちがいなく映画の世界でも、彼の影響力は逆につかみにくくなっている。だがレスターはレネやアントニオーニと肩を並べるあの時代の重要人物で、新たな語りのテクニックを次々と編み出し、映画のヴォキャブラリーを問い直していった。トリュフォーやゴダールの映画がそうだったように、彼の映画も斬新さを感じさせたが、同時に遊び心に満ち、重苦しさとはいっさい無縁だった。なによりも自由、つまり映画の構造など、若さのスピリットをあらわすためならいくらでもねじ曲げることができ、強い感情的な核さえあれば、いくらでも形式や構造をもてあそんだり、ルールを破ったりしてもいいという感覚――それこそ、レスターがぼくらに与えてくれたものだった。むろん、ぼくらを最高に興奮させたのは『ハード・デイズ・ナイト』と『ヘルプ!』だ。それは、この2本がビートルズの映画だからだった。
何年か前、評論家のジェフリー・オブライエンは、「ビートルズの音楽にはあまりにも特異で、ほとんど過小評価されているといいたくなるような美しさ」があると書いた。なんであれ、世界でいちばん人気のあったバンドが生み出したものについて、こうした言説がなされるのは奇異に思えるかもしれない。けれどもぼくにはオブライエンのいわんとするところが、100パーセント理解できる。ぼくらはビートルズを見るたびに、なぜか生きていることを嬉しく思った。それは彼らがいつも美しい音楽をつくり出し、その音楽づくりを心から楽しんでいるように見えたからだ。むろん、実際にはお決まりの問題の数々に見舞われていたことが明らかにされた――『レット・イット・ビー』を観ればわかるように。けれども喜びにあふれる共同作業のイメージは、解散後も消えなかった。それは音楽と密接に結びつき、ある面、同じくらい不滅なのだ。
ひとつの時代、なんでもできるという感覚の記憶は、決して消えることがないだろう。