映画『ジェシー・ジェームズの暗殺』(監督&脚本:アンドリュー・ドミニク 音楽:ニック・ケイヴ&ウォーレン・エリス)観賞。★★。
「ジェシー・ジェームズ」という名前を聞くと、ウォーレン・ジヴォンの名作『さすらい』のオープニング・ナンバー「Frank And Jesse James」が頭の中で流れ出す。タイトルからも分かるように、ジェームズ兄弟の生涯を綴ったハードボイルドなバラード・ナンバーだ。
『ジェシー・ジェームズの暗殺』が、ジェシー・ジェームズを暗殺した「臆病者」ことロバート・ハワードの視点を中心に描かれているということを事前に知った時には、即座に『さすらい』を想起した。『さすらい』というアルバムは、「Frank And Jesse James」を除くと、ジェームズ兄弟のようにはなれない(なれなかった)人々、つまりロバート・フォードのような人間が抱える/向き合わざるを得ない「底なしの闇」が淡々と描かれているからだ(というか、それを際立たせる為に「Frank And Jesse James」がオープニングに配置されているわけだが)。アルバムのラストを飾る「Desperados Under the Eaves」なんてその最たるもので、殊能将之じゃないけどマジで「人生に絶望して死にたくなる」よ。
『ジェシー・ジェームズの暗殺』に話を戻すと、直前に『プロポジション』を観てしまったせいもあって、おいらにはこの映画が鈍重な文芸映画にしか思えなかった。だって『プロポジション』が104分だったのに対して、こちらは160分もあるんだもの(さらに言うと、『さすらい』は38分しかない)。
しかもジェシー・ジェームズ(ブラッド・ピット)は子供を本気で殴る最低野郎だし、ロバート・フォード(ケイシー・アフレック)は洒落の通じないウジウジ野郎だし、では感情移入のしようがない。『アマデウス』や『太陽がいっぱい』のカケラほども面白くなかった。
特にブラッド・ピットは全編に渡って明らかに力が入り過ぎで、彼のチャームが全く活かされていない。この役はサム・ロックウェル程度にリラックスして演じるぐらいでちょうど良いんだよ。じゃないと、ケイシー・アフレックが彼に惹かれる理由が全く伝わってこないし。もちろん、ジェシー・ジェームズが「カリスマ性あふれる無法者」であるということをアメリカ人は前提として知っているんだろうけど、そこに甘えた賞狙いの類型的な「深刻演技」(ブラッド・ピットは本作のプロデューサーも兼ねている)。
おいらはズーイー・デシャネルとポール・シュナイダーの『All The Real Girls』コンビを目当てに本作を観に行ったんだが、ジェームズ・ギャングの一味を演じていたポール・シュナイダーはともかくとして、ズーイー・デシャネルの出番は「暗殺」が終わってからなのだった。なんだよ、その出し遅れの証文みたいな扱いは。しかも出演時間は正味1分ほどで、ポール・シュナイダーとの絡みはないとくる。ぶっ殺すよ>アンドリュー・ドミニク&ブラッド・ピット。
最大の見所は、ニック・ケイヴ本人が出演して「Jesse James」(最近だとブルース・スプリングスティーンもこの曲をカヴァーしてたね)を歌うシーンかな。ちなみにニック・ケイヴと共に本作の音楽を担当しているウォーレン・エリスは、ニックの新バンド、グラインダーマンのメンバーでもある。