うん、相変わらず面白いですね。ただ、一つ不思議なのが、ブルース・スプリングスティーンのバッタもんを聴かされたからって「ブルース、てめー!」って思うかってことなんだよなあ。おいらなんかはむしろ「ああ、だからバッタもんは駄目なんだよなあ」と、逆に本物(ブルース・スプリングスティーン)の凄さを実感するだけなんだが。それに長谷川氏は「彼と80年代日本語ロックの危うい関係性は、ハイデッガーとナチスのそれと同じだったのである」と書かれているけど、ハイデッガーは実際にナチスに入党していたのに対して、ボスの場合は80年代の日本語ロックに肩入れなんかしていないわけだし。
だってさあ、それこそビートルズ/ポール・マッカートニーに影響を受けたと自称する、甘さ一辺倒なだけのしょーもない「ポップ・マニア」系バンド/アーティストなんて、ボスのそれ以上に腐るほどいるわけじゃんか(個人的な趣味を言わせてもらうならばジェリーフィッシュなんかも全然好きじゃない)。でも、そういうのを聴かされたからって別にビートルズを、ポールを、嫌いになったりはしないよ。
そして、そんな玉石混合の「石」の大群の中に佐野元春のような「玉」もあるからポップ・ミュージックを聴くのはやめられないわけだ。というようなことを、レジーナ・スペクターの『Begein To Hope』(ここ最近で最もビートルズ魂を感じた一枚。ポール・マッカートニー好きならば『Memory Almost Full』とセットで聴くべき)や宮崎貴士の『Astaire』(ここ最近で最もポール・マッカートニー魂を感じた一枚)を聴きながら考えたことだった。
Regina Spektor - Us (Promo video)