『このサイテーな世界の終わり』のシーズン2は後半で「自分自身が常にギリギリの状態で苦しいからこそ、同様にギリギリの状態の人に手を差し伸べたいと思ってしまう」という視点が出てくるのも最高だった。これは『アンビリーバブル』にはなかった要素(というか、『アンビリーバブル』はそういった要素を完全に排除した上で刑事達が行動していくところに大きな意味がある)。この観点はシーズン1でアリッサが迷子の少女を助けるところにもあったといえるわけで、『このサイテーな世界の終わり』のシーズン2はシーズン1で散見された要素を明確化させたものでもある、と。
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『このサイテーな世界の終わり』のシーズン1は「アリッサの父親に会いに行く」という目的がハッキリしていたのでストーリーに疾走感があった。シーズン2では「そもそも計画なんかない。それが問題なんだ」という台詞があるように、そもそもの目的がなくなっており、登場人物達は人気の少ないイギリスの田舎を彷徨い続ける(それ故に疾走感は落ちている)。しかし、そんな中だからこそ、アリッサとジェームスの絆がはっきりと浮き彫りになっていくところがシーズン2の美点だろう。いや、本当に素晴らしいTVシリーズだった。綺麗に完結したところも含めてNetflix配信のTVドラマシリーズではダントツでベストだな(次点で『デリー・ガールズ』『アンビリーバブル』『ユニークライフ』など)。
というか2019年1月発売の『ネットフリックス大解剖』(常川拓也さんが「サム・フリークス Vol.2」の楽屋でこの本の原稿を書いていたのを思い出す)で『このサイテーな世界の終わり』と『ユニーク・ライフ』が取り上げられていなかったのはマジで謎でしかないんすよねえ。『ベター・コール・ソウル』が入っているのでNetflix製作の作品に限定したわけでもなさそうだし、シーズン2以降大失速していった『13の理由』を取り上げるぐらいならば、という気持ちだった(あと、Netflixの世界戦略が大成功した代表例であるドイツ産の『ダーク』が入っていないのもかなり違和感があった)。
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このサイテーな世界の終わり S2を3話程見たがなんでアリッサはこんなに性格が悪いんだろうな
— 独り言を呟く会初代会長 (@yaguzima) November 8, 2019
不機嫌じゃない時の方が少ないし
俺がジェームスだったら流石に付き合い切れんわ
これにははっきりと回答できるぞ。性暴力の被害を受けた経験とジェームスとの関係を断ち切られてしまったトラウマ・PTSDで、シーズン2でのアリッサは心を閉ざしてしまっているのです(第2話でのうまく笑うことができないシーンが象徴的)。そういう人に対して「少しは愛想良くしろ」的なことを言うのはマジで最低。アリッサを演じたジェシカ・バーデンの普段の写真と見比べてみると分かるんだが(彼女のインスタグラム)、シーズン2での彼女は不健康に見えるように撮られています。全ては精神的なショックに起因するものなのです。
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あとまあ単純に、要所要所でクソが死ぬというドラマでもあるよね。正確には殺してはいないんだけど(それも作り手の優しさだよね、きっと)死んじゃう、それでも相手はクソなんだから、何とかなる<このサイテーな世界の終わり
— yako (@yako802) November 5, 2019
『このサイテーな世界の終わり』における上記の指摘はかなり重要で、おそらくシーズン1の時点では作り手もさほど深くは考えていなかったと思われるんだが、シーズン2で同様の描写を重ねることで、このドラマは「性暴力の被害者に罪の意識を負わせない」ということに強く配慮した物語になったと思う(登場人物はヤバい事態になったことは自覚するが、罪の意識に苛まれる続けることはない)。シーズン2でアリッサに「襲ってきたアイツが悪いんだから私は謝らない」とはっきり言わせているし。 『このサイテーな世界の終わり』は『アンビリーバブル たった1つの真実』に通じる真っ当さを兼ね備えた真の傑作。
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『このサイテーな世界の終わり』のシーズン2単体での感想は昨日書いた通りだけど、シーズン1と2を合わせた一本の作品としては、間違いなく後々まで語り継がれることになるであろう名作だと思う(シーズン3はないと脚本家のチャーリー・コヴェルが明言)。シーズン2は全編に渡ってシーズン1と合わせ鏡のような内容になっているので、シーズン2のビタースウィートな味わいはシーズン1の狂騒を踏まえて味わうとさらに深い余韻が残る。シーズン2での心を閉ざしてしまったアリッサの姿は、思い返すだに切ない。シーズン1に漂っていた魔法が解けてしまった世界の中で、それでも生きていくことを描いたシーズン2の真摯な姿勢は本当に素晴らしいと思う。
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『このサイテーな世界の終わり』のシーズン2は、綺麗にまとまっていたシーズン1と比べると無理矢理続きを捻り出している感が強くて決して優れているわけではないんだが(しかも暗い)、「主人公達にはどうにか幸せになってもらいたかった」という作り手の想いと優しさが最後にひしひしと伝わってきて感動してしまった。やさぐれていても、憎まれ口を叩いていても、それでも幸福を、愛を求めずにはいられない人間達の悪あがき。あの物語を本当に終わらせる為に、負け戦になることは覚悟した上で、作り手はこの続編を作ったのだろう。このシーズン2こそが本当の意味での「このサイテーな世界の終わり」です。今はその余韻に浸っているところ。本作の脚本を手掛けたチャーリー・コヴェルもシーズン3はないことを明言してますね。うん、これで良いんだと思う。今度は改めてシーズン1から通して最後まで一気見したい。
あと、このシーズン2はとにかくキンクスな!