ひどいこと言うけど、私ショーン・ベイカーは「ミドルクラスの監督がわざわざ安っぽくインディ風味に撮ってる」とこがあんまり好きじゃないのではないかと思い始めた。話の作り自体は極めてオーソドックス…っていうかわかりやすい話を撮るよね?小さい頃から古典映画に浸る余裕があった人の撮り方だと思うんだ
— saebou (@cristoforou.bsky.social) 2024-12-19T00:18:49.853Z
たとえばカウンシルエステイト育ちのワーキングクラスの監督であるアンドレア・アーノルドとかに比べると、ナラティブに全く変なところがないと思うんですわ。アーノルドにはある、余裕がない中で孤独に培った想像力のぶっ飛びみたいなのがベイカーには無い。
— saebou (@cristoforou.bsky.social) 2024-12-19T00:22:35.116Z
ショーン・ベイカー、セックスワークは描けるけど他のギグワークとか低賃金労働はあんまり描かないとこもミドルクラスっぽさを感じる一因かな(ケン・ローチの映画とかだとセックスワークも不安定なAmazonの配達員も低賃金の福祉やサービスセクター労働も、全部同じレベルでダメなものとしてかなりちゃんと描かれるよね)
— saebou (@cristoforou.bsky.social) 2024-12-19T09:17:52.698Z
これはよく分かる。というかショーン・ベイカーが異様にセックス産業に拘り続けているところには若干引いてしまう自分がいる。彼が社会に対して抱いている問題意識の限界と、それとは別種のオブセッションを感じてしまうので(だから『レッド・ロケット』は気持ち悪いと思った)。