映画『グッド・ヴァイブレーションズ』のトリビアを書いておくと、このシーンでアコーディオンを弾いている老人が、映画のモデルになったテリー・フーリー御本人です。『グッド・ヴァイブレーションズ』は脚本もイチイチ気が効いていて、例えば冒頭のナレーションの、
「Once upon a time, in the city of belfast, there lived a boy named Terry, with a "y"(昔々、ベルファストの街にTerryという名の少年がいた)」
(中略&左目に矢が刺さるシーン)
「And then Terry was Terri with an "I"(これでTerryはTerriになった)」
という言い回しとかを聞けば、物凄く念入りかつ周到に書かれていることが分かる(「Yが1個のテリー」から「I(アイ)が1個のテリー」へ、つまり「目が1個のテリーになった」の意。字幕だと日本語に変換しようがないので、「これで彼の世界は一変した」としているけど)。英語が分かる方はその辺りも楽しんでもらいたいっす。
前述のようにテリー・フーリー本人が出演しているのに、ことさら彼が美化されていないのも、テリー・フーリーの大らかな人柄を感じさせる素敵な部分ではないかと思います。そのことについて、テリー・フーリーはこのように答えてますね。「映画の中で俺がそんなに良い人間には描かれていないと多くの人が思ったみたいなんだが、そもそも俺が聖人君子だったことなんて一度もないんだよ」と。
あと、『グッド・ヴァイブレーションズ』を観た人に言いたいのは、あなたの傍にいるテリー・フーリーみたいな人をきちんと評価して大切にしてくださいってこと。金勘定とかとは別の次元で生きている利他的な人。たとえばそれこそ原島宙芳さんのような人です(いや、だってどまん中ラジオをほぼ毎週開催して、ほぼ毎週観客を巻き込んで打ち上げをして、って凄くないっすか? ただの観客に過ぎなかった自分も、だからこそゲストに呼んでいただけたわけで。「そう、おれは君の友だち」の精神を地で生きている人)。っていうか絶対にあなたの傍にもこういう人がいますから。こういう人こそが世の中を面白くしているし、こういう人がいなくなれば世の中は本当に味気なくてつまらないものになってしまうと思うので。