ケン・ローチの『レディバード・レディバード』の凄さは「体制側の横暴により善良な市民が子供を奪われる」という単純な図式に陥っていないところだと思う。なぜなら主人公のマギーは「善良な市民」なんかではなくて、明らかに人間的に問題のある人物として描かれているから。それでも、杓子定規な行動によってマギーの子供を奪うのは、彼女の人間としての尊厳を奪っているのに等しいと思える。マギーのような「問題のある」人間は生きる価値がないとでもいうのだろうか? ケン・ローチは単純な「泣ける話」を作るのではなくて、映画を通して「基本的人権」についての根源的な問いかけを行い、観客一人一人が自分自身の頭で考えることを促している。世界の負の側面をあれだけ描きながら、それでもまだ現実の社会で生きる人間を信じているってこと。やはりケン・ローチは真のヒューマニストと呼ぶに相応しい存在だと思う。
そして、安易な「ハッピーエンド」を作らない強さ。ハッピーエンドが訪れなくても生き抜いていくタフネスを描く覚悟な。ルーカス・ムーディソンも「スウェーデンのケン・ローチ」なんて言われたりするけど、『ウィ・アー・ザ・ベスト!』が凄いのも主人公達は結局のところ誰からも称賛されないってことなんだよな。『ショー・ミー・ラヴ』だって結局のところ主人公達が田舎の社会の枠組みからドロップアウトするところで終わる。でも、ドロップアウトしたとしても、誰からも称賛されなかったとしても、生き抜いていく力が人間にはあるってこと。おいらが信じたいのは人間のそういう不屈の精神、不屈の生き方なんですよ。
「ねえ、あの娘っていつもあんなにブーイングを食らってるのに、どうして演奏し続けてられるんだろうね?」(from 『ウィ・アー・ザ・ベスト!』)