2024年6月1日(土)に渋谷ユーロライブにおいて、はみ出し者映画の特集イベント「サム・フリークス S」を開催します。今回はお試しリクエスト企画で、以前にサム・フリークスで日本初上映を果たしたアンナ・ボーデン&ライアン・フレックの『シュガー』とマイク・バービグリアの『ドント・シンク・トワイス』を再映いたします。 前売チケットはPeatixで販売中です


2024年7月20日(土)に渋谷ユーロライブにおいて、はみ出し者映画の特集イベント「サム・フリークス Vol.28」を開催します。今回は米国文芸映画2本立てということで、ジャック・フィニイの同名短編小説を映画化した『愛の手紙』と、ジョン・バダムの劇場用映画デビュー作である傑作『ザ・ビンゴ・ロング・トラヴェリング・オールスターズ&モーター・キングス』を上映いたします。前売チケットはPeatixで販売中です


2024年10月19日(土)に渋谷ユーロライブにおいて、はみ出し者映画の特集イベント「サム・フリークス Vol.29」を開催します。今回はジョン・キューザック2本立てということで、彼の長きに渡るキャリアの最高傑作である『やぶれかぶれ一発勝負!!』と、ジョン・キューザック版『インスタント・ファミリー』というべき傑作『マーシャン・チャイルド』を上映いたします。前売チケットはPeatixで販売中です

過去に開催したサム・フリークスの一覧はこちらです


マフスのキム・シャタックの追悼記事をローリングストーン ジャパンに執筆しましたマフスのキャリアを一望できるプレイリストも作りってみました。

ローリングストーン ジャパンでリンダ・リンダズにインタビューしました。アルバム『Growing Up』発表時SUMMER SONIC 2022での来日時2024年の来日時です。

2023年5月にシグリッドが初来日公演を果たした際に、ローリングストーン ジャパンでインタビューしました


メアリー・ルー・ロードの「Lights Are Changing」のオリジナルなどで知られるべヴィス・フロンドのポップな楽曲のみを集めたベスト・アルバム的プレイリスト『Pop Essentials of The Bevis Frond』を作成しました。

サム・フリークスの場内BGMのプレイリストを作成しました。毎回上映作品と絡めた選曲をしています(最新のものに随時更新していきます)。


「ダム・インク(Dumb Inc.)」名義での活動も。
バンドキャンプで「隣り合わせ」や「」といった曲などが試聴&フリーダウンロードできます。SoundCloudもあります。


★★★★★=すばらしい ★★★★=とてもおもしろい ★★★=おもしろい ★★=つまらない ★=どうしようもない

ケン・ローチの『レディバード・レディバード』の凄さは「体制側の横暴により善良な市民が子供を奪われる」という単純な図式に陥っていないところだと思う。なぜなら主人公のマギーは「善良な市民」なんかではなくて、明らかに人間的に問題のある人物として描かれているから。それでも、杓子定規な行動によってマギーの子供を奪うのは、彼女の人間としての尊厳を奪っているのに等しいと思える。マギーのような「問題のある」人間は生きる価値がないとでもいうのだろうか? ケン・ローチは単純な「泣ける話」を作るのではなくて、映画を通して「基本的人権」についての根源的な問いかけを行い、観客一人一人が自分自身の頭で考えることを促している。世界の負の側面をあれだけ描きながら、それでもまだ現実の社会で生きる人間を信じているってこと。やはりケン・ローチは真のヒューマニストと呼ぶに相応しい存在だと思う。


そして、安易な「ハッピーエンド」を作らない強さ。ハッピーエンドが訪れなくても生き抜いていくタフネスを描く覚悟な。ルーカス・ムーディソンも「スウェーデンのケン・ローチ」なんて言われたりするけど、『ウィ・アー・ザ・ベスト!』が凄いのも主人公達は結局のところ誰からも称賛されないってことなんだよな。『ショー・ミー・ラヴ』だって結局のところ主人公達が田舎の社会の枠組みからドロップアウトするところで終わる。でも、ドロップアウトしたとしても、誰からも称賛されなかったとしても、生き抜いていく力が人間にはあるってこと。おいらが信じたいのは人間のそういう不屈の精神、不屈の生き方なんですよ。


ねえ、あの娘っていつもあんなにブーイングを食らってるのに、どうして演奏し続けてられるんだろうね?」(from 『ウィ・アー・ザ・ベスト!』)




ローチの映画にヒーローは出てこない。主人公はそこらにいる失業中のおっさんだったり、保健所に勤めてるたいして美人でもない三十女だったりするわけだ。女をデートに誘いたくても、いい歳してたかだか5,000円かそこらの食事代も工面できない。金がない、仕事がない、家族もない、あるのは「ジョー」という名前だけ。だがこいつはべつに卑屈になったりせず、ダチに借りたなけなしの金で女をボーリングに誘う。べつに撮影がとびぬけて美しいわけでもない、たかが中年のおっさんとおばさんのボウリングのスケッチがこんなにもロマンチックなのはどうしたわけか。登場人物の胸の高鳴りや不安や怒りが我が事のように胸にせまるのは、いかなるトリックか。観終わった後もささいな仕種や台詞が目に焼きついていて、まるでこの連中を自分の親戚のように感じてしまうのは、なぜなのだ。