彼女に若干軽蔑されるぐらいギリギリの生活を送っていることで有名な常川拓也さんに、「サム・フリークス Vol.9」で上映する『マイアミ・ブルース』と『サム・フリークス』についてのコラムを書いていただきました! 2020年9月6日(日)に渋谷ユーロライブにて2本立てで上映します! よろしくお願いします!
サフディ兄弟の『グッド・タイム』に影響を与え、ギレルモ・デル・トロもサンシャイン・ノワールの重要作に挙げるのが、『マイアミ・ブルース』だ。警官を装う詐欺師をコミカルでセクシーな魅力で演じるアレック・ボールドウィン、傷つき壊れる娼婦を一見緩慢な子どものように演じてみせるジェニファー・ジェイソン・リー、そしてフロリダの陽光の下で繰り広げられる漫画的な暴力が折り重なって愉しい。賞レースのトロフィーよりも複雑な役を選んできたJJLの姿がここにもある。『ハネムーン・キラーズ』ファンもお見逃しなく。
「サイクロプス」と揶揄される隻眼の少年マットとプラスサイズの緑髪の少女ジル(そしてクローズドゲイの少年エルモ)の高校最終学年から大学1年までの関係を描いた『サム・フリークス』を改めて観ると、ニール・ラビュートが製作総指揮として支援を買って出たことはよく理解できる。どちらも悪意と差別が渦巻く世界を描いているのである。外見だけで人が識別される中で、身体的な特徴によって、標準でない彼らは校内で虐げられてしまう。
ハリウッドの黎明期から現代までのロマンティック・コメディを考察したドキュメンタリー『Romantic Comedy』は、映画が、女性は常に完璧な化粧をして痩せていなければ幸せになれないという義務感を女性客に要請してきたことを指摘していたが、『サム・フリークス』は、ある種そういった今までの映画のお約束の展開を意図的になぞっているところがある。他者の視線の中で周りと相対化して自分自身を認識してしまうマットとジルは、高校卒業とともに外見上の違いを埋めようとしていく。あるいは、特に容姿で批判されてきたジルは、あるべきボディイメージの呪縛に取り憑かれた女性として設定されている。これは、そうした自己知覚や強迫観念についての映画である。
しかし、事はそう簡単には解決しない。監督のイアン・マカリスター=マクドナルドは、異質な者が周囲に円滑に溶け込むことの困難さ、そして傷つけられてきた彼らもまた先入観で他者を判断して傷つけてしまう精神構造にまでも踏み込む。不完全な者同士の孤独が互いを守り合い、痛みを覆う一瞬をそっと見つめるまなざしは、繊細で真摯で、初めて観た時から脳裏にこびりついている。『少女ジュリエット』に次ぐ特集としてもふさわしい。
「何事にも初心者である若い人々は、まだ愛をなすことができません。彼らはそれを学ばなければなりません」──ライナー・マリア・リルケ
(映画ライター・常川拓也)