映画館での鑑賞は街の景色や人との記憶とも一体となった体験みたいな言い方は美しいけど、忘れっぽい自分は別に乗れなくて、劇場の環境で不快な体験することもあるし、家で一人夜遅くにDVDや配信で見て興奮して眠れなくなった映画とかの方が個人的には残ってたりすることも全然ある。 pic.twitter.com/bW1l5IgrQC
— Takuya Tsunekawa (@tsunetaku) 2020年6月4日
映画館で映画を観る背後にはそれぞれの人生があるって話なら、家で映画を観る背後にもそれぞれの人生があるわけだから、映画館が特別ってことにはならないすよね。それはただのセンチメンタリズムでしかない。自分も映画館を守るべきだとは思うし、それをきちんと守ろうともしない政府はクソだと思うけど、それは映画館で働く労働者の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、そして「映画という文化に触れられる環境の多様性」を守るための基本的人権やヒューマニズムの観点からだ。語弊があるかもしれないけど、「映画」や「映画館」という建築物よりもまず何よりも大切なのはヒューマニズムだと思う(だからサム・フリークスではお金ない人は無料でいいって言ってるし、お腹が空いている方にはおにぎりを差し上げてるし、毎回児童支援の寄付を行っているわけで)。「映画」がまず何よりも大切、みたいな考え方の行き着く先は松江哲明なんで気をつけたいです。