映画『ボヘミアン・ラプソディ』に対する真っ当な批判記事。この作品に対して「時系列が違う」「史実と違う」として批判している人が多いのは、「時系列が違う」「史実と違う」こと自体を批判しているのではなくて(そんな伝記映画は腐る程ある)、それによってスポイルされている物があまりにも多いから批判しているんだって話。作品内におけるHIVの扱いだって、事実を捻じ曲げてまでしてお涙頂戴の物語にしようとする、エイズを「泣かせの為の道具」としてしか考えていない作り手のデリカシーのない姿勢は、死の前日まで自分がエイズであることを隠し続けたフレディ・マーキュリーの美学とは真逆のもので、冒涜ですらあると思うし(エイズであることを公表した時の声明があまりにもあっさりした内容であったことも、その「美学」を裏付けするものだと思う)。あと、「最後は両親の前でカミングアウトして、嫌われていた父親からもきちんと認められました。めでたしめでたし」という保守的な展開にも心底ウンザリした。実際にはフレディは両親にカミングアウトすることはなかったらしいじゃないか。それだってフレディの「自分が同性愛者であることを両親から認められなくても構わない」という美学だったと思うんすよね。だから彼はロックという音楽を選んだのだろうし。こういったことは決して「重箱の隅」なんかではなくて、フレディ・マーキュリーという人物の本質に関わってくる大切なことだと思います。だから批判している人が多いんだってば!
『ボヘミアン・ラプソディ』がダメだとしたら、どんな音楽伝記映画だったらいいんだよ!というと、あっこゴリラさんの名曲「GOOD VIBRATIONS」の基になった『グッド・ヴァイブレーションズ』のような映画ならいいと思います。史実と違う部分がテリー・フーリーという人物の本質を捻じ曲げるのではなくて、本質を補強/補完するものになっている。