ネットを徘徊していたらこんな記事を見つけた。ロビンの「Dancing On My Own」について、
今年のフロア・アンセムのひとつ。
好きな人が彼女とクラブに遊びに来ていて、
二人がキスをしているのを見ながら、
独りで踊っている(dancing on my own)という歌詞は、
この日記を読む人なら誰でも心にくるのではないでしょうか。
音楽を鳴り終って照明がついてもサヨナラもいえないとか、
もう、ね。
ってことは、村圭史氏はもしかしておいらの記事(訳詞)を読んでくれたのかな? だとしたら嬉しいっす。だって、普通に考えれば「I just came to say goodbye」は「サヨナラもいえない」とは解釈できないから。言うまでもなく「come to 動詞」は「〜するようになる」という意味であって、普通に訳すと「私はあなたにサヨナラを言うことになっただけだった」となるわけで。ここの歌詞は「you don't see me standing here」という直前の現在形の詞を踏まえて、「I just came (here) to say goodbye」を略しているとおいらは無理くり考えて、「あなたに『さよなら』を言うためだけにここに来たのに…」→「あなたに『さよなら』を言うことだってできやしない」と超意訳したんす。というか、おいらが訳したように「音楽が止まり、灯りがつく/でもあなたが私を見ることはない/あなたに『さよなら』を言うことだってできやしない」とした方が文章の流れ的には自然だし、この曲で一貫して表現されている2人の間の絶対に埋めることのできない溝がより明確になるんすよね(まあ原詞に忠実に訳せば「あなたには『さよなら』としか言えなかった」となるかな)。
おいらは個人的に、歌の歌詞はメロディに乗せきれない大きな行間がどうしても(強制的に)生まれてしまうという考えを持っていて(ラップはその行間を減らすための表現方法だと思う)、英語と日本語の「行間感」は全く別物だとも思っているので、歌詞を訳す際はその行間をきちんと言葉で表現するべき、つまり意訳大賛成!な人間(a.k.a.ゲームの達人)なので、だいたいこのブログで歌詞を訳す時は意訳しまくってますよ。
というわけで、あんまりおいらの言ってることを鵜呑みにするもんじゃねえぞ!という話。